西ヨーロッパの旅

ドイツ

(1マルク=約80円 1998年)


○バックパッカーホステル
 
昨夜は、一晩中ダンスミュージックが鳴りっぱなしで眠れなかった。この宿は旧東ベルリンの、みすぼらしいビルの3階、日本で言うところの4階にある。エレベータはなく、階段には、ビールビンやゴミが散乱している。最初はちょっと後ずさりしてしまうような宿。名前は『バックパッカーホステル』
 ここの2階は静かな日もあれば昨晩のようにガンガン音楽が流れる日もある。音の振動で、身体がベッドから飛び上がるようだった。以前、バンコックの車騒音に打ちのめされて買った耳栓も、何の役にもたたない。「ダメだ、この宿出よう」とも思ったが、ベルリンにあって宿賃がひとり約2000円~3000円と安く、しかも自炊ができるとくれば、そう簡単に移れるものではない。それに、出たところに自然食品店がある。ボクはこの旅に出るまで自然食品店を経営していて、その世界には関心があるのだ。
 この宿、入る時に看板を付けていたほどでまだ新しい。2カ月後には4階もオープンの予定とか。オーナーも自身、旅行者で、バックパッカ-スタイル旅行者の知りたい、観光とか、ランドリー、スーパーなどの生活情報をよく分かっているので何かと便利。
 最初に入った部屋は4人部屋で、ボクら2人と別のカップルがひと組いる。この見たところ10代後半のカップルは、昼間からベットで熱く抱き合っている。男はパンツ1枚で、女性はTシャツを着ているが、部屋に出入りする度に気になる。気にしなければいいのだが。後日、別の部屋のドミトリー(大部屋のこと。2~3人の部屋から30人を越す部屋もある)に移ることにした。

▼フランクフルトのマイン

○市民の広場

大韓航空の1年オープンのチケットを買って(94000円)、ソウルで乗り換えて、ドイツのフランクフルトに来た。また旅がはじまった。
 商店街を歩いていると広場とも言える道路が多いのに気が付く。通行のためだけに道路があるのではなく、そこで人々はくつろぎ、適当に座り、おしゃべりに興じている。それに車が入れないせいか歩きやすい
 市庁舎の前の広場に行くと、人々が顔を赤らめ、ビールやらリンゴ酒やらを飲み、フランクフルトソーセージを食べ、楽しんでいる。ちょっとしたテーマパークのようでもあり、中世の都市とはこういう雰囲気だったのだろうかと思う。そこは憩いを演出している広場なのだが、こんな所でお酒なんか飲んで、とつい思ってしまう。
 市政の場を人々に近づけようという配慮だろう、なかなかいいアイデアで、これがウワサに聞く広場のあるヨーロッパの都市造りなのだろうか。
 政党紹介なるものが市庁舎で開かれていた。各フロアーには政党の展示物やチラシが置かれ、市民は自由に出入していた。日本では市庁舎をオープンしての政党紹介など聞いたことがなく、少し驚き。
 都市の中であっても、車がいないとか、広場があるだけで、人に優しい町造りができるように思えた。
 宿はダブルで約4600円に入った。たぶんユースホステルを除いては最低レベルだろうが、これがなかなか快適。部屋はきれいに掃除され、とても静か。今後これ位の宿に泊まれるなら安心。

 

○ベルリンの宿
フランクフルトに5泊した後、最高時速250kmで走るという高速電車でベルリンに来た。そして宿は5人部屋に移った。この部屋の方が前の4人部屋より気に入った。ベットの真ん中の凹みも驚く程ではないし、ギイギイというきしみも目が覚める程ではない。そして昼間からベットで抱き合うカップルもいなくて気を使わずに済むことも。
 ドミトリーに泊まる場合は運、不運がつきもの、うるさい旅行者と一緒になればガマンするしかなく、室内を散らかす人も、どうしようもない。あつあつカップルは見る価値はあるが、気疲れするのも確か。初めてのインド旅行でドミトリーに泊まった時、
女性でもトップレス姿で寝るし、Tシャツとパンツで廊下をウロウロする。男性も素っ裸で寝る人もいて、それは別のカルチャーショックだったが、そんなことを経験するのは旅行中だけで、日本ではめったに経験することはない。
 ドミトリーは気楽になったほうが勝ち。ようするに慣れることだが、こんなタコ部屋も旅行者にとっては値段もさることながら、旅の情報や出会いの場になる強い味方。
 この部屋の、“飛行機くん”の趣味は、軽飛行機乗り。聞いたこともない、カナダの東海岸沖にある人口7000人のフランス領出身で、イギリスで働いた後ドイツに来たという。そしてここでも仕事を探していた。働くのはEU内のパスポートなので問題ないと彼はいう。
「パリには行ったか」と聞くからまだだ、と答えると、
「パリに行ったらエッフェル塔に上れ、あそこはいい」
ボクはこういう無邪気な言い方が好きなので、パリにいったらエッフェ塔に上ることにする。
 この部屋にはバーデンバーデン(ドイツの温泉地)出身の20才位の女性もいた。
彼女は脱いだ黒いブラジャーをいつもその辺りに放って置くのだが、それが、なぜか、他人のベッドへいったりきたりする。黒いからやけに目につくのだが、どうしてそんなに移動するのか不思議。彼女のベッドにあったためしがない。他人の生活習慣などそう簡単には分からないから、ボクとしては放っておくだけだけれど、現実は不可解。
 別れ際に
“ブラジャー姿のまま”でバイバイと元気よく言ってくれた、ありがとう
。こういうことを経験すると旅行が始まったといった感じになる。
 


裸になることが好き
 
ベルリンで、東京の井の頭公園ほどの、池のほとりのベンチに座っていた。そこへひとりの女性が敷物をもってきた。そして、あっという間にスカートを脱ぎ、ひと呼吸おいた後、おもむろにTシャツもとり、トップレス姿に。ボクはというと、開いた口はやっとこさ閉じたが、目は点になったまま、でもしっかり見開いていた。ドイツに来たばかりでこういう展開には慣れていない。
 いっておくけど、ここは町中にある公園で、周りはビルなど建ちならんでいる。彼女の後ろには歩道もあるし、人も歩いている。周りを警戒することなく、仰向けで本を読んでいる女性を見ていると、いつもそうしているといった感じで、風景に溶け込んでいる。それを意識するボクは中年のオジサンだ。イカン。
 さらに大きな公園でも行こうものなら、裸、はだかで、見たくないのに見てしまう。飛行機で11時間離れただけで、どうしてこうも違うのか。こんな時、日本の常識は通用しない。いまさらながら、文化とは人が作り出すものだということが分かる。こちらは服を着てベンチにいるのに、前の女性はパンツ1枚でいるはいたって不自然。

 

 それにしても、町中で女性が1人でトップレスになれるとは、どんな社会・文化だろうか。そんなこと今まで考えたこともなかったが。
 少なくとも、相手を尊重しなければならないだろうし、男と女の関係が対等でなければ難しいのではないだろうか。ボクのような真剣な眼差しを向けるものばかりいたなら不可能だろう。
 それにしても、公園に、たった一人の女性が裸でいるだけで、肩の力が抜け、平和な気分になれるのはどうしてだろうか。

 ちなみにパンツは脱がない。「脱いではならぬ」と掲示板が立っているところもあるという。だが、「脱がねばならぬ」とは書いてないらしい。素っ裸になれるのは『FKKゲレンデ』といい、ドイツのいたるところある。案内のガイド本もあるそうだ。有名なのはミュンヘンのイングリッシュガーデンでそこに行くと、サラリーマンのネクタイやズボンがころがっていて、世にも恐ろしい光景が広がっているという、が、真相は定かでない。ボクはトップレスで充分である。

 フランクフルトの宿は個人の家の何部屋かを貸しているというかんじ。ツインで60マルク(朝食つき。シャワー代は別に一回3マルク)と安く、きれいで部屋に洗面台もあり、お湯もでて便利。道路に面していても窓を閉めると静か。朝食は一階の食堂で。ジュースとパンとコーヒー、紅茶だけだったけれど、パンはカイザーロールが木の桶に沢山盛られていて、ゆっくり食べられこれはこれで満足した。旅行者に部屋の鍵だけでなく、玄関の鍵も渡すというのにちょっと驚いた。これで宿のオバサンがもうちょっとフレンドリーだといいんだけど。宿の人にいろいろな生活情報をきけると、その町がとても楽しくなるに。こちらもドイツ語ができないんだから仕方ない。


自然食品店、りすや

旧東ドイツの中程にあったベルリンは、東西ドイツを象徴する町。毎年夏には、平和の象徴“LOVEパレード”が開催され、100万人が集まる。ボクはかつてのブランデンブルグ門周辺を知らないが、今はただのゲートで、辺りには土産物屋がズラッと並び、もう随分以前からこうだったように思える。壁の残骸も見ることが出来ず、壁博物館の近くで監視所のような建物を見ることができた位。別の場所のマルクス・エンゲルス像が壊されずにあったのは印象的だったけど、名前はどこにも書かれていなかったみたいだ。ローザルクセンブルグ駅というのが目について行ってみたが、ただの駅で、旧東の影は全く感じられない。町はアチコチで工事が行われ、ホコリっぽく、深い過去から脱皮しているところといった感じに思えた。『バックパッカー』の隣は自然食品店『りすや』なぜかいつも髪を振り乱し、「ハー」とため息をつきながら働いている。「7年間お店をしてきて、順調だったのが、ここ1~2年売り上げが落ちてきた為、思い切って裏通りから今年1月に引っ越してきたばかり」だという。ところが、思うように売り上げが伸びず、ここに乱れ髪とため息の原因があった。「バックパッカーに泊まっている、若い子なんか店の前を通っていくだけで、ぜんぜん寄っていかない」と、なぜかボクが怒られる。『ろばや』と『りすや』多少名前も似ていることだし、売り上げが伸びず喘いでいる姿を見ると、とても他人ごととは思えず、何とかできないものかと思う。ここは旧東ベルリンで、住んでいる人の所得は高そうには見えない。それはそれでいいのだけれど、その割りに家賃が高すぎる、3500マルク、約28万円。早く引っ越したほうがいいと思うけれど、そんなこと言う資格もないし、ましてろばやの様なお店をすると売れないのだから、心の中にしまっておいた。経済中心の社会にあって、売れる売れないでお店を見がちになるけど、どういう姿勢のお店であるかが自然食品店には大切に思う。『りすや』で野菜を買っては『バックパッカー』で食べる生活が1週間続いた。

 

 


○敵は重さ

客さんはほとんど買物袋を持って買物に来る。自然食品店かどうかを問わず、ビニール袋を自動的には差し出さないし、有料だ。徹底している。自然食品店は、プラスチック容器などが少なく、パンやチーズ、ナッツ類、液体せっけんなど量り売りが多い。野菜など根菜類はもちろん、葉ものでも、箱に入っているものをバサッととっての量り売り、だからビニール類がとても少ないし、お客さんも必要な分を必要な量だけ買うことができる。これを日本でできるかどうかは分からない。野菜の調理方法も違うし“清潔ずき”な人が多い日本では、汚れることを嫌うからだ。お店も効率を考えると小分け、パック売りの方が断然量がさばける。如何に沢山売るかに比重がある経済社会にあって、自然食品店といえども例外ではない。環境対策がすすんでいないのもそのせい。個人宅配で排ガス量を増やしながら、住宅地まで車が徘徊したり、プラスチックやビニールが多いのも経済効率からきている。でも、そんなこといってはいられない時期であることを、自覚している人もいるはず。日本で自然食品店をやっていて「敵は重さだ」とよく思った。毎日の“忙しさ”も手伝って“便利”な自宅への宅配が多くなる原因でもある。重いビン類は敬遠されがちだが、リサイクルをすすめるドイツは、ビンが多い。ジャムやハチミツ、ペースト類、ベビーフード、ワイン、ジュース、水などペットボトルでなくビン。牛乳もヨーグルトも。これらはデポジットにしているものもある。回収箱もお店の奥ではなく、店内に用意されている。ビンを許容できるひとつの理由は男性客が多いからだとボクは睨んだ。「お客さんは男と女、半々だよ」どの店に聞いてもそう答える。確かにスーツ、ネクタイ姿で買い物にきている。これだと重い物も持てそうだ。でもろばやの場合は9割が女性客だった。どうしてこうも違うのだろうか。見学させてもらった、自然食品店へ卸しをしている『TERRA』によれば、ビンの共同企画は今のところ上手くいっていないが、回収率は80%に達するという。すごいな。TERRAと同じ敷地にある『MARKISCHES LANDBROT』というオーガニックのパン屋さんは、エネルギーは100%自給しているという。屋根の上のソーラーシステムで約20%、残りの80%は6シリンダーのディーゼルエンジンで供給する。屋根の上にはソーラーパネルの他、温水器もあり、屋上全体がビオトープのように雑草ガーデンになっている。また雨水利用のためのタンクを地中に埋めていて再利用するという。感心させられた。また、農家から届き最初にふるいわけた粉の悪い部分や廃棄物は、今度はBIO(オーガニック)農家が家畜のエサ用に引き取りにきて、ゴミはほとんど出ないという。更に、サンプルを保存している部屋というのがあり、小麦、ライ麦、オーツ麦、ナッツなどのロットごとのサンプルはなんと“半年間保存“し、なにか問題があったときに対処できるようにしているとのこと。これは日本の“信頼を”前提とした取り組みとは違う。こんな姿勢は日本では弱い。義務なのかも知れないが、メーカーの消費者に対する強い責任感を感じる。お店からの注文は前日の午後4~6時で、翌朝8時にはお店に届くと言う。これはとてもスピーディ。ここを見学した日本人はボクらが初めてだそうで、EUや香港の見学者は来るらしい。ただの旅行者に対してイヤな顔もせず、それが義務かのように2時間に渡って案内してくれて、ありがとう。


 

 大きな失敗をやらかした。HERRENとDAMEN。これ、どっちが男で、女だと思う。トイレに入っていたら女性が入って来た。しっかり「DAMEN」を確認していたので腑に落ちなかった。後日、またも女性が入ってきた、不思議と2人とも、入り口に戻って、同時に、ヘレンとダーメンを確認、ボクに八つ当たりしている。負け惜しみである。しかし、あまりも負け惜しみの時間が長い、そしてボクにも霧が晴れるように事情が分かってきたのだ。DAMENは女でHERRENが男だったのだ。かの女性の前で、冷や汗がダラー。その後“男はH”と覚えることにしたが、思い込みは恥のもと。

 ドイツの信号は日本の“赤↓青”ではなくて、“赤↓赤黄↓青”になる。日本に居るときはドイツの車は、赤でエンジンを停止して、赤黄でon、青でスタートと思っていた。さすが環境先進国と感心していたのだが、実際にはほとんどの車はエンジンを止めない、止めた車を1台も見かけなかった。事実は見ないと分からないもの。ここではそんなに渋滞が多くなく、そのせいかもしれない。それと、車のエンジン・スイッチがハザード・ランプのようになっていると気軽にON/OFFが出来るのかもしれないのだが、現在の車ではやりにくいのも問題だ。


ドレスデン 

ポツダムへ行く途中“クライン・ガルテン”が見えたので寄っていくことにした。線路沿いなどに、10坪弱の畑がつながっていて、日本でいうところの市民農園といったところ。でも広さは全然違うが。
 菜園には個々に、3坪程の建物があり、休んだり、お茶を飲んだりできる。庭のない人も土いじりができ、別荘気分を味わえる。何も野菜や花だけでなく、場所にによっては、簡易プールなども目に付いたから、使用にあたっての基準はおおらかなのだろうか。
 ベルリンからドレスデンまで電車で約2時間。ドレスデンといえば大空襲とエルベ川。
 エルベ川に沿って連なる宮殿や大聖堂、歌劇場など見るものを圧倒する、でも全体的に建物が黒ずんでいるのは、酸性雨のせいかな。
 宮殿の中の古典美術館には中世のドレスデンを描いた絵画があり、それが現在のドレスデンにそっくりで、驚き。
 ここでの宿は旧東ドイツ共産党のトレーニングセンターだったYH、1人3000円。
 この町の中心地に自然食レストランがあり、サラダ中心の軽いお昼を食べた。地下には第三世界ショップがある。ドイツは何処に行ってもこういうお店があり、教会関係者の人たち、またはその協力で運営されているみたい。

 エルベ川の近くに自然食品店『BIO-SPHARE』があった。店長のレニーはとてもフレンドリー。このお店も1週間に1日半しか休まず、夏休みもほとんどない。偉いというか寂しいというか。というのもドイツでは一般の労働者は確か週35時間制になったと聞いていたから、お店ももっと休むのかと思っていたら、さにあらず。やはりここでも自営業者は休めないのか、と思ってその事を聞くと、彼は「働くのが好きで好きで、もっと働きたい」という。
 東ドイツ時代をあまり振り返りたくないといっていたが、8年間コックをしていて、統一後クビに、その後失業期間があって、現在に至り、社会の違いを体で感じているのかもしれない。でも一応「過労死」という日本語を教えておいたが、彼は笑っているだけだった。 
「お客さん(ドイツ人)に日本語が話せる人がいるよ」
というので会う約束をした。翌日、高校で英語を教えているクリスタに会った。
 旧西ドイツ出身の彼女にとって、「ここは外国みたい」らしい。TVなど過去の共通の話題がなく、考え方も違うのだそうだ。学校でも教育方針をめぐって、東西教員の衝突があるという。
 合気道も教えている彼女は、東京にしばらく暮らしたことがあり、自然食品店を利用していたという。それがボクの知り合いのお店と分かりビックリ。こんな所で出会いがあるとは、やはりエルベ川のおかげか。
「この町にも日本人観光客は来るけど、日本語を話せるガイドが一人しかいないの」
と彼女は嘆いていた。日本びい気で、日本語も教えている。こういう人もいる。

 


○ナチ帝国大会の壇上

陶磁器のマイセンに寄った後、ドレスデンからニュルンベルグまで、ライプチヒ乗り換えで約4時間の移動。宿はツイン5600円。
 記録フィルムによく出てくる、“ナチ帝国大会”“党大会”はこの町の広場で開かれた、そして戦後処理の裁判も。
 ヒットラーが演説をし、軍が大行進をし、圧倒的な力、暴力を誇示した場所へ行ってみた。この時代、コミュニズムとの勢力争いの中で、最大限のナチ軍を動員し、それをいろんな角度からフィルムに撮り、何度も何度も電波にのせることで、力があるように見せかけ、勢力を拡大していったのではないだろうか。そして暴力で人々をねじ伏せたのだろう。

 ヒトラーが演説をした場所に立ってみた。当然のごとく何の感慨もうかばない。修学旅行のような学生の団体が何組かいて、説明を聞いている。壇上正面の会場はローリングストンズのコンサートがあるとかで、準備で忙しそう。
 ここニュルンベルグのユダヤ人の生還者は1%だったそうだ。この殺された99%の人々は元々ニュルンベルグに住んでいて、知人友人も沢山いたはずなのに、その人たちは、どういう思いだったのだろうか。早めに何とかしておかねば、遅くなるとどうにもならなくなるということだろう。誰もいないことを確かめて「ネオナチよ、出てくるなら出てこい」と叫んでみた。

 

○ジャフナ出身
 ニュルンベルグで、東南アジアにあるような、中華のセルフサービスのお店に入った。久々のアジア系のお店ということもあって、働いている人の国籍をたずねてみた。中国、台湾、香港、マレーシアと、いろんなところからきている。
 もうひとり、インド系の人がいたので聞くと「ジャフナ」という。
「じゃあ、スリランカからか」
と聞くと意外にも「ノー」ときっぱり。以前1ヶ月間スリランカを旅行したことがあり、事情はすぐ分かった。
 ジャフナはスリランカ少数派、タミール人(スリランカを旅していると、タミール、シンハリ人以外の顔に出会う。多分先住民の人たちと思われるが、この人たちが本当の少数派かも知れない)の都市で、現在は政府軍(多数派シンハリ人)が支配している。タミール人は分離独立を目指しているが、その道はますます遠くなっているのが現状。
 スリランカの紅茶畑に行くと、多くのタミール人が働いていて、炭鉱での炭住のような所を住居にしている。ここで働いているタミール女性の表情は暗く、こういう人が摘んだお茶を今までボクは飲んでいたのかと、ガクゼンとしたことがある。
 彼のような立場では国を聞かれても、困るのだろう。シンハリ語でこんにちはを「アーユーボーバン」、タミール語では「ワナカム」という。一緒に旅行をしている博子こと“ハク”がすかざす「ワナカム」というと、やけに受けて、堅い表情がゆるんだ。言葉は大切だ。
 これから“民族の共存型”の国が増えていくと思われるが、日本はいわば“同化型”。日本人になることによってのみ日本に住める。さもなくば異端排除、こんな姿勢がいつまで続くことだろうか。
 ヨーロッパはEU統合でいやおうなく様々な民族と共存していかねばならない。(ちなみにドイツでの外国人人口9%、ハンブルクは18・2%、ドイツ連邦統計局)言葉の問題をはじめ共存化が進んでいくと思われる。言葉は自国の他に2カ国語、学校で習うと資料にでてた(エラスムス計画)。学生の交換留学も盛んだそうだ(リングア計画)
 前々から気になっていたのは、日本は“国際化”を“アメリカ化”と思っているのではと感じることがある 。確かに、経済、政治での米国での権力は絶大であり世界唯一の大国。けれど同時に、ひとつの国だと自覚しておかねば、誤解がでてくる。


○日本人観光客

ニュルンベルグの城壁の内側は、中世風の落ち着いた町並みが続き、歩くだけでリラックスできる。戦争で破壊されたにもかかわらず、復元は立派だ。壊れたものなら、区画整理しなおし、新たに床面積の多い効率的な建物を立てようとは思わないのだろうか。
 この町の自然食品店『ロータス2』の辺りもとても美しく、前の川に古い屋根付きの橋がかかっていて、まるで絵本の世界。こういう場所でお店ができたらいいのにな。この『ロータス2』の人が気になることを言っていた。ドイツでも子供のアトピー問題は深刻だそうで、日本だと大豆製品やお米などが原因の場合が多いが、ドイツだと小麦や乳製品が多いという、それでお店では「お米をすすめている」という、何と。

 ここからバスで約2時間でロマンチック街道の町、ローテンブルグに着く。
 城壁に囲まれたこの町の旧市街は中世のおとぎの国。特にレンガ色の家並みは見応えがあり、ニュルンベルグ同様その保存の努力には感心する。
 それまで見かけなかった日本人観光客が突然と大量に現れる。お土産屋さんで働いていた日本人に聞いたところでは、このエリアの土産物屋で10人以上の日本人がはたらいているそうだ。それだけ観光客が多いということだろう。
 ユネスコ世界遺産に登録されているバンベルグにも行ってみた。宿は始めはツイン約6400円、後は約5600円。
 バンベルグは水量豊富な川やそれに沿って建つ落ち着いた家々や教会など、人気がある町で、観光客で混んでいる。けれど、日本人はほとんどいない。というのも、ロマンチック街道沿いでないために、来ないのだ。ピタッといなくなるから、その現象がオモシロイ。
 この町の広場でも野菜やパンを中心とした市(いち)がたつ。オーガニックコーナーもあり、ここでは約10店ほど、生産者が自分達が作ったものを売っていた。生産者とは別に、市専門の自然食品店もあり出店していた。見ていて、野菜は生産者が直接消費者に届けるのが自然なんだと改めて思った。
 今日は、ワールドカップ“アルゼンチン×日本”のサッカーが予定されているので見てやろうと、サッカーカフェへ行こうとしたら、別のカフェからTVの音が道路に響いてくる。入ってみると案の定、アルゼンチン×日本戦の最中。
 従業員の女性がひとりで、食い入るように観ている。彼女はブラジル人で、アルゼンチンに敵対感があり、アルゼンチンが負けるよう応援していたのだ。不思議な応援だ。日本のランクを低くみているサッカー誌を持ってきて、「日本はもっと強い」といってTVを指差す。でも、「キーパーがいい、キーパーがいい」と連発していたので、ただのミーハーかもしれない。
 彼女は店内をブラジル旗のカラーでそれとなくデコレイトして、ここバンベルグで、ひとりで応援していたのだ。ブラジル人のサッカーに込める熱意を垣間見た。

 

 ドレスデンのYHは一人38マルクで朝食つき。すべてツインかトリプルの部屋なので、普通のユースより少し高いが、昼間外にでなければならないということもなく、シーツ代も込み。部屋は結構広く、シングルベッドがふたつ、机や椅子もあり、洗面台もある。シャワーとトイレは共同だけれど数もたくさんあり快適だ。 おまけに朝食はビュッフェで食べ放題。チーズやハムの他、シリアルやヨーグルト、りんごやバナナも取り放題で、こっそりお昼のぶんまでもらっていった。ここを利用している人は、家族連れからお年寄りのカップルまで年齢層が広い。ドイツは、国中に600以上のユースホステルがあるときいた。安く、快適な宿が沢山あるというのはそれだけで、旅行に行ってみようと思えるものだ。

 


 

ビニール袋

 バンベルグから電車で約2時間半、ここはビールのミュンヘン。うわさに聞いてたとおり物価が高い、バックパッカーの強い味方のドネルケバブが6DM、480円もする。宿はツイン約5600円(朝食、シャワー別料金)に入った。
 ここのところ夕食は2日に一回は部屋でとっている。野菜など量り売りが多いので、トマト、きゅうり、人参、それぞれ一個づつ買える。利用者になって量り売りの有り難味が分かる。売るほうの立場だと手間がかかるが。
 パン、紅茶、野菜などを買い、部屋で食べると食費が安くなる。こうしてみると、ヨーロッパの長期旅行は、ベルリンのバックパッカーホステルのように、宿に台所や冷蔵庫があるところを選んだ方がいいようだ。
 ミュンヘンは刺激は少ない町だけど、とてつもなく大きい教会やビアホール、沢山の美術館など見どころは多い。特に美術館にはこれでもかこれでもかと絵が詰まっている。ゴーギャン、マネ、セザンヌ、モネ、ゴッホ、ドガなどボクでも知ってるからほとんどの人はきっと楽しめると思う。 
 ドイツに来て、一カ月近くになり、その間いろんな食べ物を買ったのだが、今まで一度も袋なるものを貰ったことがない。最初はとまどい、それが少しずつ当たり前のようになってきていた。ところが、ミュンヘンの市場のオーガニック八百屋で買い物をしたら、突然ビニール袋に入れてくれた。「あれっ」と思い、他の客をみると、皆に入れている。BIOショップにいってもビニール袋が多いし、他のお店でもそうだ。カフェに座って、通行人の持ち袋検査をすると、ビニール袋が多い。所変わればこんなに違うとは。そういえばこの町を歩いて、人々がこころもち、忙しそうだ。みるとベルリンなどに見られた、落書アート(すごい落書がある)も少なく、なにかもの足りない感じがした。

 

○ユダヤ人収容所
 ミュンヘンの近くのダッハウには1933年ドイツ最初のユダヤ人強制収容所がある。案内板によると建設当時は5000人収容の目的だったのが、1937年には収容人数を大幅に上回り、20万6000人以上の収容者が記録され、記録にない収容者もいて実数は不明という。
 こいうい場所を見て回るのはやはり気が重くなる。以前、エルサレムにあるヤッドバシェム記念館にいったことがある。そこでは死者の名簿ファイルがきちんと棚に収められ、ライトアップされていた。ボクがすぐ思ったのは、原爆死没者名簿の、年に一度の虫干しの光景との違いだった。
 ダッハウで、収容者バラックや例によって、シャワーに見せかけた、ガス室、医者によるマラリア人体実験、人間を冷水などに浸けどこまでもつかの実験など、もうすでに知られていることではあっても、改めて気を重くさせられた。
 特に当時のまま残された火葬場の中を覗いたときには、あるはずのない人間の脂身を感じようと思わず探してしまった。こういう施設をしっかり保存しているドイツと、過去をあいまいにする日本と、大きな差を感じてしまう。
 ミュンヘンから大学の町フライブルグへ移動。“エコ・メッセ”を見学した後、スイスに向かった。

 

○人に優しい町
 ハイシーズン(7~8月?)ではないということもあってか、ドイツの宿探しは楽だった。というのも各主要な駅には、その町の宿の住所、電話、値段、部屋の写真、設備、空き情報等が掲示され、朝食付きのB&Bが多い。値段の高い宿だけではなく、安い宿も紹介されていた。それでもだめなら、その町のインフォメーションセンターでも紹介してくれるし、宿を紹介したリストもある。
 こうした充実ぶりは、外国人ツーリストのためだけにあるのではなく、ドイツ人が普段からよく利用しているからだと思える。そしてもし旅行者からの情報を集めたいなら、ドイツ・ザール地方が発祥の地である、YHに行くといい。
 この国はインフォメーションが発達している。施設の入り口にカウンターがあり、すぐに聞けるようになっている。たとえば駅で、行く先を告げるだけで、時刻表をプリントアウトしてくれる。市内地下鉄で乗り換えがあっても、分単位の時刻表のプリントをくれる。本屋さんでも、インフォメーションコーナーは各階に設置されていて、情報提供ということに対しての姿勢が違う。しかもベルリンだと注文して24時間以内に届くから不思議だった。情報公開や情報提供は民主主義の根っこの部分、そう考えると、この国はそれが発達しているのだろうか。
 町には車イスの人やお年寄りも目につく。きっと外に出やすいのだ。駅などの階段には荷物を持ち上げるベルトコンベアーが備え付けられていて、重いものを持っていても大丈夫。それよりも、たぶん弱者に対して手助けする人が多いのだろう。
 移動は楽だった。列車の5人用コンパートメントは、室内照明の使い方や、外の風景を楽しめる広い窓、向かいに座った人の足がぶつからないなよう工夫されたシートの配置など、快適に作られていた。後で、オープンシートの車輌にも乗ったがこちらには各席に液晶TVやビジネスマンがチョットした仕事可能なテーブルがあった。
 道具類も使いやすく、電灯などのスイッチ類は周りに違和感ない程度に大きく、少々目が悪くても大丈夫そうだった、使ってみていい感じだ。たぶん、人間をコンセプトにした発想があるのだろう。
 はじめてのドイツということでとまどいもあった。たとえば、日曜日だと、商店街がガランとなるのだ。日本だと、稼ぎ時で、大きな商店街だと休むことはない。法律の関係もあると思うが、コンビニの多い日本からは、考えにくい光景だ。“仕事が人生”“商売が人生”と考える人は少ないように感じた。
 ドイツは終わった。

▼移動ピザ屋、その場で焼いてくれる。ユニークなテーブル。

※  お昼によく立ち食いしたのは“ドネル・ケバブ”。ケバブ屋の多さを見るにつけ、ドイツにはトルコ系の人が多いというのを実感する。このケバブ、エジプトやエルサレムでよく食べていたので懐かしいし、美味しい&安いのでバジェット旅行者の味方。
 回転しながらあぶっている、羊肉をはりあわせた大きな塊りから、肉をナイフで削り、野菜、玉葱、ピーマン、トマト、キャベツ等(店によって違う)とともに半円形のパンにいれて好みのソース(タヒニというゴマペーストやマヨネーズ等)をかけてくれる、まあバーガーの一種だ。ベルリンのやつはとくに巨大で、野菜がたくさん入っていた。
 おすすめは、ファラフェルという豆のコロッケをいれたもの、私はこれのほうが好きだ。ドネル・ケバブひとつ約300円で、お昼なら二人でひとつで充分。(byハク)